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[数論]高木貞治『初等整数論講義 第二版』第五章ノートその1
先に本書の記述のスタイルが気に入らないというコメントをしたが、よく考えるとブルバキの『数学原論』が刊行され始めたのが1939年なのであって、『初等整数論講義』の初版は1931年なのでこれはB.B.時代(Before Bourbaki. 今作った用語)の著作なのであった。
さて、本書を読もうという奇特な方のために私が本書の第五章で詰まったところのノートを公開しておきたい。まあ、余計なお世話の一環である...
p.307の後半、既約類の数というオイラー関数の類似品の話題となる。p.307後半からp.308前半辺りは中国剰余定理と同じ話なのであるが説明の順番が変なので理解に苦しんだ。カッコよくやるなら、整域の互いに素な2つのイデアルに対して、 なる環準同型(の元をそれぞれの自然写像で2つの成分に落とすもの)を調べることになる。本書のようにでなるように選んでおく。まずが全射を示す。任意のに対して、と定義したとき、に注意すれば、となり、同様になので、全射が証明できた。
また、だが、が素であることから、が成立している(∵任意のを に掛けて を得るが、左辺はどちらの項もの元である)。よって準同型定理よりを得る。
さて、問題になるのはこの同型における既約類の対応である。左辺での既約類 に対して、 同様になので右辺でも既約類のペアになっている。自明でないのはこの逆で、右辺の既約類のペアの逆像が既約類かどうかである。ここで二次体の整数環がDedekind整域あることが効いてくる。
背理法で示す。を既約類から選んできたとして、が既約類でないとしよう。より、と書けるが 既約類でないという仮定からの極大イデアル分解は自明でなく、ある極大イデアルという素因子を持つ。素イデアル分解の一意性から、素因子は左辺のまたはの素因子である。仮にがの素因子としてみよう(の素因子である場合も以下と同様にできる。)。このときより、はの素因子にはならない(∵もしそうならより と矛盾する)。
一方、より、はを素因子にもつことがわかる。しかし、より は素因子を持たない(∵もしそうなら だが、と合わせるとで矛盾する)。
さて、以上の準備で 単項イデアル の素イデアル分解を考えてみる。もしが素因子を持つと、かつが成立するため、と矛盾する。が素因子を持たないことは先に示したので、は素因子を持たないことがわかった。しかし一方、で、かつ より、すなわちが従い、が素因子を持つことになり矛盾となる。よって、は既約類の代表でなければならない。
今、示した本書に沿っての証明では任意のイデアルが素イデアル分解ができるDedekindという条件を使っているので、Dedekindでない整域で反例が無いかと探していたのだが、どうもうまくいかない。いろいろ試しているうちにDedekindという条件が無くても成り立つという証明ができてしまったので紹介する。
環 の2つの互に素なイデアルをとして、なる元を選んでおく。 の元で なるものがあったとしたとき、と定義すると、が成り立つ。
<proof>
背理法による。ならばを含む極大イデアルが存在する。で、は素イデアルでもあるため、あるいはが成立する。と仮定する。もとより、で と
より、が従うが、再びが素イデアルであるため、または. しかし、前者は、後者はといずれも矛盾となる。の場合も同様. よって、 □
まあ、かなり緩い条件で成立していそうだが、整域の任意のでないイデアルに対してを有限にしたいので、が有限個しかないという制約を付けると、前々回ぐらいに議論したように、もしが素イデアルであれば、は元の数が有限の整域で、それは体となるため、は極大イデアルであることがわかるので、でない素イデアルは極大イデアルというDedekind整域の性質を持っている(Noether性も成立しているので、Dedekindであるにはあと整閉が必要...のはず)。
だいぶ脇道にそれてしまったが、本論はここからである。前回までの議論で二次体の整数環の素イデアルは3つのタイプに分かれるということがわかっているのだが、そのいずれの場合も
が成立しているというのである。底本だとタイプによって証明の根拠が違っているのに結果が同じというのは非常に不思議である。
1) の場合:
はよい。次の「は原始イデアル」がすぐには分からなかった。は原始イデアルだとしても、そのはいつでも原始イデアルになるわけではない。その反例は次の3)で のようなこともあるからである。さて、が原始イデアルでなく、とイデアルの積に分解されたとしよう。両辺のノルムを計算すれば、左辺はなので、はとのベキでなければならない。しかし、と分解してみれば、であったから、素イデアル分解の一意性に反している。よって、は原始イデアルである。また、がを含むのは明らかなので、標準的基底での整数部分はの因子、すなわちの形となる。もしだとすると、よりとなるが、これも右辺の因子が過剰なので矛盾である。よって、という標準的基底で表せることになる。この形がわかれば、が剰余系の代表となるが、このうちと素なものは、と素でもあるので既約類である。逆にで割れてしまうものは(底本に「で割り切れる」とあるのは誤植ではない)、またなので となり、では既約類ではない。よってこの場合、.
2) の場合:
はよい。なので、の形の元が剰余系の代表を成すのもよい。これらの数がで割り切れる、すなわち であるのは、がともにで割れる場合である。このときは明らかにとなるのでは既約類ではない。この逆はそう明らかではない。としよう。は素イデアルなのでまた極大イデアルでもある。よってから、なる整数(有理整数とは限らない)が存在する。として両辺を乗して、右辺をでまとめると . これから直ちに がでて、証明完了である。以上により、.
3) の場合:
これが一番ややこしい。はよい。は原始イデアルなので、を標準的基底としよう。ケース1)の議論と同様ではよい。と偶数ベキの時は、なので 2) と同様の議論といいたいところだが、ここに罠がある。代表元がで割れる(に入る)かどうかを問題にしないといけないのである(ではない)。これはの奇遇によらず同じ論法である。であると明らかになのでは成立しない。つまり、は既約類ではない。この逆はが極大イデアルであるから2)と同じ論法でよい。よってなる代表元の数を数えて剰余類の全体数から引けばよいことになる。この論法がのタイプによらず通用するのが先の不思議のタネである。
かどうかの確認を底本でも、が奇数の時に議論しているが、ここではもうすこしベタに見てみよう。
つまり、ごとにでの剰余がに等しいの数を数えればよいことになる(大体はの全数をで割ればいい)。
が偶数のとき:なので、に対して、の範囲で の解を数えることになるが、それはとなる。
∴.
が奇数のとき:なので、範囲は、となる。これから直ちに .
結局いずれの場合も、である。