Awodey『圏論』第5章

 5章は極限と逆極限である。これまで出てきたもろもろの構成が、極限と余極限で統一される...ということだが、あまり感動はなかった...(あくまで個人の感想です)...本書で最初に知ったわけではなかったが、元を使わずに定義できるとはとても想像できなかったので、モノ射とエピ射の定義を最初に見たときは衝撃的であった。単射全射が双対概念とは...圏論恐るべし。

さて、本章の気になる一言は、p.125の下段の『すべての余極限がそのように構成されるわけではないことをみてほしい.例えば、...』である。例として命題3.11が挙げられているが今一つピンとこない。文脈からするとその直前の命題5.31の中のω余極限をただの余極限にできないということのようだが、すこし考えてみる。命題3.11は有限な余極限の一つである余積について述べているので、『アーベル群での余積は基礎集合の余積として構成されない』ということが主張したいことのようである。一方で命題3.11はアーベル群の余積と積には標準同型があるという命題なので、命題5.31の後半から出る『アーベル群の極限は基礎集合の極限から構成される』と合わせると、『集合の余積(直和)と積(直積)は一般的に違うもの(標準的な同型はない)である』というあたりから理解できそうである。もっと具体的な例をあげると、有限アーベル群が2つあるとして、それぞれの位数をn,mとしよう。この2つのアーベル群の余積は命題3.11から直積でもあるので、その位数はn×mである。一方で、もし余積が基礎集合の余積(直和)から構成されるとすると、その位数はn+mより小さい(同値関係で割ることもあるので)ということになり、無論これは一般的には成立しない。


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p.103 8行目
 誤『対象Xの一般化された要素の言葉では、z:Z\to X
 正『対象Xの一般化された要素z:Z\to Xの言葉を使って、』

 訳書では原文直訳で間違いではないですが、前後の意味がつかみにくいのでちょっと変えてみました。まあ、ここは枝葉末節です。


p.104 6行目
 誤『記号で書くと』
 正『示唆的に記号で書くと』
原文『suggestively』

 これもまあ、枝葉末節といえばそうなのですが、その直後の式は現時点では証明されるべきものというよりは、直感的に正しそうなこんな自然な関係が成り立っているのだという示唆であるという理解をしました。本書で集合論の用語を使っているところは、Setsの例を出すところ以外は"直感"を助けるための方便であると思います(数学的にきっちりやってないので)。
具体的にいいますとE=\{z\in Z|f(z)=g(z)\}の等号"="の意味および{}の中身の記法が問題です。Eはオブジェクトですが右辺はよくわからないもの(一般化された要素のクラス?)なので、"="はオブジェクトの一致あるいは同型ではありえません。この等号はX,YをAの部分対象として
X=Y \Leftrightarrow \forall x(x \in_A X \Rightarrow x\in_A Y) \wedge \forall y (y \in_A Y \Rightarrow y\in_A X)
という意味だと思われます。

右辺の(一般化された要素としての)元z:Z\to Af(z)=g(z)すなわちf\circ z=g\circ zなるものは等化子Eの性質から、図が可換になるZ\to Eが存在するのでz\in_A Eとなります。逆に一般化された要素z:Z\to Az\in_A Eなるもの、すなわち図が可換になるZ\to Eが存在するものは、明らかにf\circ z=g\circ zすなわちf(z)=g(z)となります。


p.108 最初の図の下
 誤『m'がモノ射ならばmもモノ射である』
 正『mがモノ射ならばm'もモノ射である』

 誤植です。


p.109 下から7行目
 誤『上の影響』
 正『上の効果』

 趣味の問題かも。


p.111 中段と下段の2か所、p.112 上段と中段の2か所
 誤『拡張』
 正『外延』

 拡張というとやっぱりどこか拡張されていて欲しい。


p.115 下から6行目
 誤『自明な圏』
 正『自然な構成をもつ圏』
 原文『an evident category』

 数学用語では自明は"trivial"です。ここでの構成はまったくtrivialとは思えないので訳語は不適切です。しかし、"evident"も数学書ではあまり見ないような気もします。原書では別の個所でも何度か"evident"が使われていて、それらからみるとどうやら、"自然な"あるいは"はっきりとわかる"という意味に近そうです。"natural"は圏論では別の意味に使っているのでかぶらせたくなかったのでしょうか。試訳もいけてません。


p.118 13行目
 誤『妥当な射影』
 正『射影』
 原文『of the right sort』

原文だと、"まともな"という意味ですが、数学用語としてはなんでしょう? よくわかりませんが"妥当"だと何か別の意味があるように読まれるかと思うのです。枝葉末節ですが。


p.118 下から9行目
 誤『射の影響』
 正『射の効果』

 趣味の問題です。


p.119 1行目
 誤『(E,e_i)はDに対する極限であり、e_i=\pi_i \circ eとなることを示す.』
 正『(E,e_i)はDに対する極限であることを示す。ここにe_i=\pi_i \circ eである.』
 原文『We show that (E,e_i) is a limit for D, where e_i=\pi_i \circ e.』

 e_i=\pi_i \circ eは示されるべきものではなく、e_iの定義です。


p.127 下から8行目
 誤『交換可能』
 正『可換』
 原文『commute』
 
 圏論では commuteはすべて"可換"と訳されているかと思います。


p.129 2行目(てつさん指摘分)
 誤『初項d_0
 正『初項d_0=0

誤植です。


p.129 8行目
 誤『半順序集合とωCPOにおける余極限ではなく、それらの余極限を考察する.』
 正『半順序集合とωCPOの中での余極限ではなく、その列の余極限を考察する.』
 原文『We consider colimits of posets and ωCPOs, rather than in them.』

 訳文は意味不明なので原文にあたりましたが、なるほどここは訳が難しいです。。試訳も苦し紛れです。ただ、このページの続きの訳文にも問題があります。ここで著者が言いたいのはωCPOの列の余極限なのであって、そもそもωCPOの中で余極限を考えるとそれはもとのωCPOの中にあるのは定義からあたりまえになっています。


p.129 10行目
 誤『有限のωCPO』
 正『有限のωCPOの列』
 原文『the finite ωCPOs』

 複数のsが訳しづらいですが、それぞれがωCPOである\omega_nという列を考えています。その余極限はPosの中ではωになりますが、ωそのものはωCPOでないというように説明が続いていきます。