Awodey『圏論』第8章(8.7節から)

結構早い時期に途中まで記事を書いて放置して、もうとっくにGWも終わってしまった。ゆるゆるにもほどがあるが、いつもはこんなペースである。


さて、ついにトポスの登場である。といってもちょろっと紹介されているだけではある。参考文献にトポスのバイブル(のはず) MacLane and Moerdijkがあがっているが、この本、結構高い。何かのはずみで買ってしまった Goldblattの"Topoi"で許して欲しいのだが、そもそもトポスにそこまで興味があるかと言われると...そもそも集合論をやってないとありがたみ(?)がないような気がする。

トポスの定義であるが、本書の部分対象分類子の定義で引っかかった。”引き戻し条件”と述べられている点がどう効いてくるのか判然としないのである。しばし考察してみる。話としては二段階である。


一段階目は、Sub_{\varepsilon}(E)\to Hom_{\varepsilon}(E,\Omega)全単射である点。単射であるのは部分対象分類子の定義なので、全射はどうか? 有限極限の存在は仮定されているので、u\in Hom_{\varepsilon}(E,\Omega)に対してpull backは存在するので、その一つをUとする。射U→Eがモノ射かどうかが問題となるが、f,g:F→Uが射U→Eの合成で同じ射になったとするとFはpull backの図を可換にし(1がからむ上の部分の矢印は自動的に成立する)、Uがpull backであるため、f=gとなる。よって射U→Eはモノ射となり、Sub_{\varepsilon}(E)\to Hom_{\varepsilon}(E,\Omega)全単射となる。


二段階目は、Sub_{\varepsilon}(-):{\varepsilon}^{op}\to Setsが関手である点。射f:E→Fをとったとき、Hom_{\varepsilon}(F,\Omega)\to Hom_{\varepsilon}(E,\Omega)は合成によって自然に定義できる。一方でp.108あたりの議論から、Sub_{\varepsilon}(F)\to Sub_{\varepsilon}(E)がpull backによって定義される。これら2つの写像は一段階目の同型と合わせて可換図が作れる。これは補題5.8にある2つのpull back図の合成の外側の図もpull backとなることと、部分対象分類子の定義でのuの唯一性からである。(ただ、Sub_{\varepsilon}(-)がSetsへの関手というのがいまいちすなおに納得できないところである。一段階目の議論の同型があってそうなるはずなのだが。)p.228の中段に『さて、米田の...』とあって面食らうが、これは『そこで、米田の...』という意味で部分対象分類子の同型を除いての唯一性の説明の続きなのである。


ついでに命題8.18の証明の中で私が引っかかったところの補足をすると、ここで1と書かれているSets^{C^{op}}の対象はCの対象を定数(適当なSetの元)に写像する定数関手である。t:1\to \Omegaは自然変換として定義されるのであるが、結局、定数に対して何か\Omega(C)の元を対応させればいいのだが、これを全ふるいt_Cに選んでおけば、f:C\to C'から f^*:t_{C'}\to t_Cが誘導されて、自然変換の条件が満たされる。tが部分対象分類子であることについても補足を加えると、u:E\to \Omegaも自然変換として定義されるので、u_C(e)の定義となるが、ちょっと気になることがある。U\to Eがモノだとして、任意の対象Cに対してU(C)\to E(C)がモノなのか?である。一般的にはきっと成り立たないと思われるのだが、U(C)等がSetsのオブジェクトなのでこのケースは大丈夫である。それは、もしU(C)の2つの異なる元が同じ元に写像されるとすると、それらの2つの元から定数関手{\bf C}\to Uを作れば、U\to Eがモノという条件に反するからである。もうひとつはf^*(e)\in U(D)\to E(D)の意味が謎な点であるが、これは『f^*(e)U(D)\to E(D)の像に入っている』というように読まなければならない。


u_C(e)がふるいになっていることは、f\in u_C(e)g:F\to Dに対して、f\circ g \in u_C(e)かどうかであるが、i:U\to Eが自然変換であることから、i_F \circ U(g)  =   E(g)\circ i_Dが成立しており、E(f)(e)i_Dからの像になっているとその元像をU(g)U(F)に送り込めば E(f\circ g)(e)=E(g)(E(f)(e))i_Fからの像に入っていることがわかるからである。


(8.9)が可換になっていることは、U(C)の任意の元aの像(u_C \circ i_C)(a)が全ふるいt_Cであることを示せばよいが、f^*(i_C(a))=E(f)(i_C(a))=i_D(U(f)(a))なので、u_C(i_C(a))の条件は常にみたされているため、それは全ふるいとなる。


最後にuの唯一性を確認する。ここで大いにハマった。射u:E\to \Omegaから、モノ射U\to Eを構成することを考える。任意のオブジェクトCに対して、e \in E(C)の部分集合U(C)=(u_C)^{-1}(t_C)と定義する。一方u:E\to \Omegaが自然変換であったから、f:D\to Cに対して、f^* \circ u_C = u_D \circ E(f)が成立するが、これより、U(f):U(D)\to U(C)が定義され、Uが関手であることがわかる。またUがpullbackであることもほぼ明らかである。ここまではいいのである。いまひとつ自明でないのは、uの唯一性である。t_C以外の値のところは適当でいいなら唯一性は保証されない。ということはそれ以外の値もきっちりと決まってしまっているのだ。結構長い間悩んでいたが、やっと証明ができたので紹介したい。
uu'が条件U=U'を満たす異なる射E\to \Omegaとする。異なるということはあるCとe\in E(C)が存在して、u_C(e)\neq u'_C(e) \in \Omega(C)である。ふるいの元として異なるということは、あるf:D\to Cが存在して、f\in u_C(e)かつf \notin u'_C(e)と仮定してよい。さて、f^*:\Omega(C)\to \Omega(D)でのu_C(e)の像を考えるとf^*の定義から f^*(u_C(e))=\{g:F\to D\mid f\circ g\in u_C(e) \}であり、f\in u_C(e)であったから、id_D \in f^*(u_C(e))がわかり、結局 f^*(u_C(e))=t_Dである。一方、f^*(u_C(e))=u_D(E(f)(e))なので、u_D(E(f)(e))=t_D. よってE(f)(e)\in U(D). 一方、f^*(u'_C(e))\neq t_Dである(なぜなら左辺にはid_Dが含まれないから)。このことは先と同じ可換図式から E(f)(e)\notin U'(D)を意味するが、これは条件U(D)=U'(D)と矛盾する。


蛇足ながら、補題8.12の証明中、7章の練習問題7を参照するが、その練習問題の原文中の"just if"のjustが正しく訳出されておらず、必要十分条件になっていないのはご愛嬌である。付録の解答の証明ではちゃんと必要十分の証明がある。


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・p.227 真ん中 定理8.14中(てつ氏指摘分)
 誤『すべての積とCに存在する冪を保つ』
 正『Cに存在するすべての積と冪を保つ』
 原文『preserves all products and exponentials that exist in C』

 文脈からいっても訳文のように訳すのは不自然かと。証明(練習問題7の解答)を見れば、"Cに存在するすべての積と冪を保つ"で数学的にも正しいです。