Awodey『圏論』第8章(8.5節から8.6節)
今回はなかなか手強かったが、ゆるゆると行きたい。
命題8.7について少々コメントを。極限の存在をいきなり仮定して計算するとこうなるので定義はこうする(8.4)とよいというのは発見法的でアリなのだが、そこで証明が終わってしてしまうのでなんだか気持ち悪いままである。論点先取になっていないかどうか検証がかえって面倒なのである。それはそれとして、最初から(8.4)を極限の定義とすると実は微妙な問題がある(もちろん原著者は気づいている)。それは対象Cに対して、極限はSetsの中で存在するが、極限は同型なものがいっぱいあるので、それら同型な対象のなかから具体的にひとつ選んでくる必要があるのだ(ほら、もう気持ち悪いでしょう。)ただ、幸運なことにSetsの中での極限の構成には無限積を使った標準的なものがあるので、これを採用すればよい。そうするとあまり自明でない(と思う)同型の証明が具体的にできる。それは実際、米田の補題の同型を無限積で並べて、極限構成の元の条件式がその写像と可換であることを確認すればよい。
に対して、極限構成での無限積の元の条件式は、自然変換とするととなる。であるから、確かに可換である。
命題8.8の余極限についても、Setsでの標準的な構成(無限直和を同値関係で割る)を使えばまったく上と同様に証明される。
命題8.10についてもコメントしておきたい。訳がどうという以前に原文でもここの証明は何だかわかりづらい。余錐を考えたいのであるから、添え字圏からへの関手が必要で、それはで定義されている。具体的には、のオブジェクトに対して、となる。をとすることで、Pへの射が決まる。この構成が余錐になっているのは、p.223の上の可換図のおかげである。ところが、『余錐 』というような記述があって、ウッとなるのである。しかし、これは誤訳ではなく、原文にもある。を適当な圏の間の関手とし、余錐を自然変換として解釈するような流れと推測されるが、いったい本書のどこにそんな記述があったであろうか。ネットで調べてみると『関手とに対して、Fから定数関手cへの自然変換を余錐と呼ぶ』というような記述があった(ここではをその圏のオブジェクトという意味で使っている)。,とすれば本書の記述『余錐 』とぴったりである。余錐の条件と定数関手への自然変換の定義はこれもまたぴったり一致する。一件落着である。あとはP,Qがのオブジェクトつまり(反変)関手で、は自然変換であることを考慮すれば証明の流れは理解できる。
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・p.221 下から3-2行目
誤『任意のスモール圏Cに対してすべての対象Pが関手圏にあれば表現可能関手の余極限である』
正『任意のスモール圏Cに対して,関手圏のすべての対象Pは表現可能関手の余極限である』
原文『For any small category C, every object P in the functor category SetsCop is a colimit of representable functors』
普通はこう訳すと思います。in 以下が何か条件のようになってるのでステートメントが謎です。
・p.223 3行目
誤『これより、実際に圏は対象上のPの上のスライス圏の充満部分圏に同値となる.(すなわち,の射で表現可能なドメインを伴う.)』
正『これより、実際に圏はPの上のスライス圏の充満部分圏に同値となる.その部分圏の対象は表現可能なドメインを伴った(すなわち,の射)である.』
原文『Indeed, the category is thus equivalent to the full subcategory of the slice category over P on the objects (i.e., arrows in ) with representable domains.』
誤訳とは言えないかもしれません。overもonも"上の"と訳してしまった功罪でしょうか、意味がいまひとつピンときませんが、原文もやや謎です。"on the objects"は "the full subcategory"の修飾、"with representable domains"は"the objects"の修飾であると解釈しました(数学的な解釈としてそれが自然かと)。試訳では文を分割しました。
・p.224 3行目
誤『性質』
正『性質』
原文も誤植と思われます。
余談ですが、この証明中で余極限をもってを定義しますが、Pごとに余極限の選び方に任意性がある点、気持ち悪いのです。一般の余完備圏に対してなので、Setsのように一般的な何かうまい方法があるというわけにはいかないはずなので...選択公理なのでしょうか。