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[集合論] Jech本二章章末問題から
<問題2.7>
<解> ヒントにあるように適当なから始めて,と定義し,とすればよいが,初期値に応じてすこし丁寧にやるのが吉である.
この場合はnormal sequenceの増加性より,は単調に増加している(もっとも普通に想定しているケースである).が成立するが,左辺は ,右辺は連続性より であり,が固定点となる.また である.
(ii) のとき:
この場合は が固定点なのでこれ以上何もやることがない.
(iii) のとき:
今度はは単調減少列である.しかし,この場合の集合は最小元を持たないが,これはの整列性に反するので実はこのケースはもともとありえないことになる.
『いくらでも大きな固定点』が存在することも同時に証明されている□
<問題2.11>
(i) かつ
(ii)かつ
(iii)かつ
<解>実は問題を誤解して,任意のに対して,それぞれの等号が成り立つようなを見つけよというより難しい問題を解いてしまっていた.せっかくなのでそっちの解答を紹介しよう.
(i) と書けるので,となるようなを見つければよい.これは簡単で とすればよい.要するにを右から無限に足してやれば,左辺で一つぐらい余分に多いのは吸収されてしまうという理屈である.フォーマルには となる.
(ii) 実はというトンチ解がある.ただ,というケースではトンチ解しか解が無いので無意味というわけではない.しかし,ここでは としてトンチ解でないものを見つけてみよう.(i)の類推から でいけそうである.なので,に右からを掛けると となるので,と全部に潰れていることがわかる.
(iii) トンチ解でないものを,という条件で求めてみる.今回の類推はちょっと悩んだが,である.になっているわけである.一方,になっていてやはり全部に潰れているのだが,この証明にはちょっと工夫がいる.
<補題> 任意の順序数 に対して,
<証明> 超限帰納法による.のとき,で成立している.に対して,でよい.のとき,と帰納法の仮定より で,極限操作により □
の肩にを乗せると,. 補題より が得られるので,とすれば が得られる.□
<問題2.15>(Well-Founded Recursion)
<解>本文での一般化された超限再帰法に比べると,この問題ではなんだか一つ前のデータだけで再帰するケースのようである.ちなみにの引数にがあるのは,順序数の場合と異なり,という集合から逆にをユニークに決めることができないからである.
まず,の唯一性から.条件を満たす関数がもう一つあるとして,という集合の-極小元のひとつをとしよう.極小性から,という集合上ではとは一致しているので,となるが,これはの取り方に矛盾する.
の存在を示す.ところでよくよく見るとJech本では関数といったときは関数クラスを意味している(p.11).しかしながら,定義域が集合上の関数クラスは自動的に集合としての関数になる(∵置換公理により値域が集合となり,分出公理より集合となる).とはいえ,今回は定理2.27のを使うのが早そうである.
を上に順に定義して,に対する超限帰納法を使う.なので証明することは何もない.の場合,ならばなので,で定義すればよい.の場合,なので,で(∵ と考えればよい),同様にで定義すればよい.の選び方に依らないのは一意性からの部分的な定義はすべて共通の定義域で一致しているからである□
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[集合論] 無限公理が無い時に... (Jech本 p.26)
今回の話題は無限公理が無い時にどういうことが言えるかというケッタイなJech本の2章末問題がネタである.
<問題2.4(無限公理が無いとき)>
(ii) 無限集合が存在する.
(iii) は set である.
注意としては(ii)の無限集合の定義は通常は,『いかなるに対しても,上への one-to-one 写像が存在しない』であるが,集合としてのの存在が保証されていないので,
というようには簡単にできない.集合論で使用する論理式の変数・定項はすべて集合でなければならないからである.一方で集合が順序数であることは,transitive かつ でwell-orderd であるという条件を真っ正直に並べれば論理式で記述できる.問題はの元を論理式で書けるか?ということであるが,意外にこれはうまくいかないのである.ところで問題の『0でない最小の極限順序数が存在するとき』は常にそれはなのであろうか? もし,が論理式で記述できるなら,は選出公理より集合であり,また極限順序数である.よっての最小性からとならざるを得ないのだが本当だろうか? これに深入りするとZFで無限集合の存在公理をその否定に置き換えた遺伝的有限集合論の非標準モデルというアヤシイ方向に行くようなのでここで立ち止まっておこう.
順序数が極限順序数であることは論理式で表現できる:ため,ここでは有限集合の定義として,『自分自身とその要素が全て極限順序数でない』という定義を採用しよう.この定義は,もし最小な極限順序数が存在すれば と同値であり,最小な極限順序数が存在しない場合は単にである.この問題のケッタイなの定義はこの有限集合の定義に適合しており,恐らくもともとそういう意図であったのかもしれない.また有限集合をこの定義にしておくと,の定義とは独立にできるので(ii)のステートメントの意味が明確であるという利点もある.
極限順序数が存在しない一番簡単な例は通常の集合論での有限集合だけを集めた(無限公理を抜いたZFC)集合論で,0でない極限順序数は存在せず,この世界での はと一致し,それは集合ではない.ところで,無限公理が在ろうが無かろうがは集合では無い(つまり真のクラスになる)ので,上の問題での場合,(iii)が成立しないため,0でない極限順序数が存在しないし inductive setも無限集合も存在しない集合論となっていることがわかる.ちなみに完全に蛇足だが,調べたところNFと呼ばれる集合論の公理系ではそもそも順序数の定義がフォンノイマン流ではなくて,順序数全体のクラスは必ずしも真のクラスではない(モデル依存)そうである.さらに困ったことにNFでは選択公理が否定されるらしいが,キューネン本によると『NFは数学の基礎として一般的には受け入れられていない』とのことでマニア以外の人はまあ安心である.
<問題の証明>
(i) ⇒ (ii)
inductive set の一つをとする.は inductiveな順序数なので極限順序数である.なので なのはわかるが,かといって なるに対して 上への one-to-one が存在しないかどうかはそんなに自明ではない.ちなみに2つの順序数に対して は正しくなくて(∵たとえば だが,. 最後の等式のone-to-one写像としては ,という例がある.)
さて,もしあるに対して,one-to-one写像 が存在すると に制限すれば はからの中へのone-to-one写像となる.一方,もとより なので,次のセクションのCantor-Bernsteinの定理より,となる.結局,ならが不可能であることを示せばよいことになる. をと定義する.まずは単射である(∵ より).また である(∵ 0以外のはの定義より後続順序数でなければならない).さて次にとして,任意のに対して,上への one-to-one写像 を構成しよう.大仰だが超限帰納法を使う.の時はは空集合なのでよい.で,の時はでよい.のときは帰納法の仮定から,上へのone-to-one写像 が存在するので,と定義を拡張すれば,が上へのone-to-one写像を与える.
さて,順序数をでなるような最小のものとしよう.は明らかに条件を満たさないので.を上へのone-to-one写像とする.として,を上へのone-to-one写像としよう.ここで が定義されて 上へのone-to-one写像となるが,これはの最小性に反する □
(ii) ⇒ (iii) (Jech本のヒントに従う)
このステートメントは結局,無限集合の存在が極限順序数の存在を導くということである.を無限集合とする.に含まれる有限集合を全て集めたものは集合である(∵ のベキ集合について,有限順序数が存在してその上へのone-to-oneが存在するという論理式による分出公理から集合となる).各々の有限集合に対して,そのone-to-oneが存在する順序数を対応させる関数クラスが定義されるが,置換公理によりその像は集合である.よってこの像の和集合は順序数となるが,これがすべての有限順序数を含むことを証明しよう.そうなれば,なのでのケースではないことがわかる.
に含まれない有限順序数の最小のものをとしよう.は明らかにの元なので,としてよい.有限順序数の定義からは後続順序数で と書けるが,自身も有限順序数の定義を満たし,の最小性からとなる.そこで部分集合でに上へのone-to-one写像が存在するものがある.また,は無限集合なのでに含まれないの元が存在する.そこで に対して,以外は元のone-to-one写像,に対してはを対応させれば,の上へのone-to-one写像が作れ,となるがこれは矛盾である.□
(iii)⇒(i)
はinductive setである.□
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[集合論] Well-Founded Relations (Jech本 p.25)
例によって、テキストで引っかかったところをネタにするノート記事である.
<well-founded relation>
well-founded な二項関係と集合を合わせて、well-founded setと呼ぶ.
をあたかも大小関係'<'のように見たときに、任意の部分集合に最小元が存在するという well-orderd set の一般化になっているというわけである.もちろん一般的には は順序関係ですらない.とはいえ、このままではつまらない一般化に見えるが、次の定理がなんともすごい.を関係での極小元から数え上げて階層づけできるというイメージである.
<定理>(Jech本 Theorem 2.27)
<証明>
対応を逆にして、順序数に対して の部分集合を超限再帰的に定義する.
, ,
が極限順序数のとき.
の定義の心は、の下があるならそれは の元に限るというような意味合いである.ただし、のとき、なるが存在しないので、条件式の前提が常にfalseとなるため であることを注意すれば、ならば であることが超限帰納法で示せる(∵ が極限順序数なら定義から自明.の時は、さらに
とすれば、定義より であるが、超限帰納法の仮定から であるため、後続順序数に対するの定義から包含関係を+1進めた すなわち が成立する.
(ii)が後続順序数の場合:
定義より で、超限帰納法の仮定から なので .なので再び超限帰納法の仮定から .これらより、.よって、.
さて、ここでJech本では なるような、が置換公理により存在するとさらっと主張している.StackExchangeでもこの点の質問があったが、その解答を紹介しよう.もしこのようなが存在しないとすると の値は空集合でなく、順序数全体のクラスからのベキ集合への単射になっている(∵ 単射であるのは より小さい順序数に対する がすべて から除かれてしまっているため).そしての像に対しては、このの逆写像を考え、の像に入っていないの部分集合に対しては を対応させれば、のベキ集合から、順序数全体のクラスへの全射が得られることになる(これらの対応はすべて関数クラスである.念のため).しかし、これは置換公理により順序数全体のクラスが集合であることになるので、不合理である.
さて, となったとしよう.このとき,に対しても,となる.その証明はをなる最小の順序数とする:
仮定より,で. これよりであるから,の定義に反する.
(ii) が極限順序数のとき:
定義より はの定義に反する.
続いて,を証明する.もしそうでないとすると にE-minimalな元 が存在する.E-minimal の定義より となるが,これは そのもので,なのでの決め方に矛盾する.
の準備ができたので,を次のように定義する.
このとき ならば,である(∵ なので,定義から でなければならない.が後続順序数なら で だから . が極限順序数なら .なので □)
定理の等式を証明しよう.よりなので.よって、は直ちに出る.ここでさらに が成立しないことを見る.
まず,である(∵もしなら,が後続順序数なら直ちに矛盾だし,極限順序数なら だが, かつ なのでこれもの定義に矛盾する).さて,で,となってしまうと,より,で矛盾する.よって なるの中に なるものがあるが,もしならば より は矛盾なので,. よって,かつ なるが存在する.さて,もしならば に対して,かつ なるが存在するが,より は矛盾である□
最後に heightが に等しいことを証明する.ここでひとつ重要な注意を.私も一時ハマって『気づいてしまったシリーズ』のネタに入りかけたのだが,定理のステートメント は集合としての一致であり,左辺はそもそも順序数であるかどうかは自明ではない.この左辺はの意味では決してない.なぜならが極限順序数でないときは,である.例えば1点 しかない集合で,とするとトリビアルに well-founded だが,であり,.一方 となっている.である.しかし,集合としては で確かに成立している.
さて, を示そう.
として,なので . よって,.逆向きは に対して,だから なので なるが存在するが,このときである(∵ だとすると より は の取り方に矛盾)□
が極限順序数のとき:
より .なので . よって,.逆向きは に対して,なので .なるが存在するが,このときであるのは先と同じ理由である □
というわけで,特になのであり,等号は成立していない.
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[集合論]気づいてしまったシリーズ - 順序数の減算編
いままでさらっと理解したつもりが、ある時気づいてウッとなってしまったことを紹介するコーナーである.今回は、順序数の減算編.さて、順序数の和 は順序数で、次のような再帰的な定義である.
(ii)
(iii) が極限順序数のとき、
この定義で(iii)だけが、ちょっとわかりにくいが と書き直しておけば、右辺が『順序数の集合の和集合は順序数になる』ことから順序数であることがわかるし、計算も便利である.ここまでは曖昧なところはどこにもない.
次に順序数の減算に相当する次のような定理がある.
定理: ならば なる順序数が唯一存在する.
<証明>
加法の性質 『』を既知とすれば、唯一性はこれからでるので存在のみを示す.に関する超限帰納法を使おう.のとき、が存在しないのでこの場合は自動的に命題は成立する.気持ち悪いなら、から始めてもよい.次にの場合、かだが、前者ならでよい.後者なら、超限帰納法の仮定より なるが存在するが、より、OK.が極限順序数のとき、超限帰納法の仮定から に対して、なるようなが存在する.は順序数で、 となり、に対しても成立するため、超限帰納法より定理が成立する.□
自作の証明だが、何も悪くなさそうである.しかし、一点だけ穴があることに気づいてしまった.それはである.何がいけないのか.は順序数で、は確定している.一方、右辺は順序数の集合のSupなので、これも確定した順序数を与える.しかし、これが一致するかどうかは自明でないのである.一見すると順序数の和の定義の(iii)がよく似ているので、納得しそうになってしまうが、① が極限順序数かどうか明らかでない、② Supを取る集合が定義とはそもそも似て非なるものである、といろいろマズい.
これからこれらの点を解消するための冒険にでるわけだが、結論を先に言っておこう.①はが極限順序数ならば、も極限順序数.②、①とは無関係に一般的に任意の順序数の集合に対して、.なので一応、証明は正しいことがわかる.
まずは①を示そう.ちなみに『が極限順序数 』を使う.これの証明は、と書けると右辺に反するので、()はよい.が極限順序数(後続順序数でない)かつ、右辺の否定 が成立するとかつ から または が出て矛盾である().
さて、としよう..一方、で、これに右から 1 を加えると、 (∵最後の不等式はが極限順序数であるから).よって、.同じことをもう一度やれば、 が得られるが、から、が極限順序数であることがわかる.
つぎに②を示そう.は極限順序数とは限らないので次の2つの場合に分ける.
と書けるが、なので.このときtransitivityから でもあるので、なので、より .そこで証明したい式の右辺について .一方、より なので、は成立している.
(ii) が極限順序数のとき:
この場合でも、なるものが存在していると、(i)の後半と同じく、簡単にが成立することがわかるので、と仮定しておこう.は和の定義の(iii)から、に等しいが、これより直ちに②の右辺=がわかる.もし、この最初の不等号で=が成り立たないとすると、
なので、が成立するような が存在する.よって でなければならないが、これより は矛盾である.□
さて、Jech本にはこの定理の証明はヒントしかなくて『の順序型をとせよ』とある.これ結構、謎のヒントである.私が困ったときによく参考にしている StackExchangeでもこのヒントをコピペしただけの解答に『その証明が知りたいんだよ!』と怒っている人がいるぐらいで役に立たなかった.それでも超限帰納法でできるとのヒントもあったので先の証明をひねり出してみたわけである.とはいえJech本のヒントに沿った証明も考えてみたが、順序同型 が存在してもいまひとつこの仮定が使いにくいのである.しかし、よくよく考えるとこのはならばに一致しなければならないはずである.ただ、現時点ではが全射かどうか(そもそも値域からはみ出ていないかすら)分かっていないわけである.
<別証明>
まず、 とがから順序数のクラスへの写像として等しいことをまでの超限帰納法で証明しよう.まず、である.なる について が成立したとする.が後続順序数で とすると、.だが、なるような は存在しない(∵ から または はいずれも矛盾)ので が順序同型であることから の間には順序数は存在せず、.もし、この後ろの等号が成立しないとすると となるが、これが成り立たないことは先にみたので、 で が成立する.最後にが極限順序数のとき、で は加法の定義.一方、より、(∵推移性).よって、.ここで等号が成立しない場合は、となるが、としたとき、が極限順序数だったので、なる順序数 が存在する.を掛けると だが、は加法の単調性に矛盾する.よって、となって超限帰納法が完成する.
さて、を証明しよう.もし、なら、なので とすると、は矛盾である.としよう.すなわち だが、が後続順序数でも極限順序数でも、でなるものが存在する(∵ なら .なら ).これは の像がに入っていないことになり矛盾である.よって、 □
確かにこれは長い...
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[集合論]InductionとRecursion
タイトルは和訳では、『帰納と再帰』となるだろうか。最近読んでいたどれかの本で(Jech本ではなかった気がする)数学書でもこの2つの用語がごっちゃになってることがあるとの指摘があった。前回の私の記事でも、『関数を帰納的に定義する』というようなことをいっちゃってたような気がするが、正しくは『関数を再帰的に定義する』である。ややこしいのは『帰納的定義』というのもあって、単純なオブジェクトから複雑なオブジェクト作る手順が② オブジェクトとオブジェクトを一定の手順で組み合わせるとオブジェクトができる。
③ オブジェクトはすべてこれらの操作のみで作られる。
帰納法:
オブジェクトのある性質について、
② 性質を持つオブジェクトを一定の手順で組み合わせると性質を持つオブジェクトができる。
といった形の論法が帰納法である。次に見る順序数のように帰納法は成り立つが、オブジェクトが必ずしも帰納的に定義されているわけではない場合がある。
定理(超限帰納法 Transfinite Induction; たとえば Jech本p.21のTheorem 2.14)
を順序数のクラスとする。が次の3つの条件を満たすと、それは順序数全体と一致する。
(ii)
(iii) がでない極限順序数であるとき、
ちなみにこの手順を逆にして、順序数を帰納的に定義したようなテキストは見たことない。順序数の定義としては、推移的かつに関する整列集合という定義以外は知らない(このフォン・ノイマン流定義を最初見たときは、なんじゃこれはと思ったが、今となっては良くできた定義であると思う。フォン・ノイマンすげえ)。手順が逆にできない理由は、(iii)で極限順序数なるものの存在が先にある点で、を知っているとしても、この右辺の和集合の条件にが出てきてしまっている。ここを仮に『これまでの過程で作ったすべての順序数』としてみても、『これまでの過程で作ったすべての順序数』の集まりが集合になっている保証がなければその和も集合になっている保証はない。恐らくそれをいちいち確かめなければならない点で帰納的定義が躓くのだろうと思う。
ところで、上の定理の証明はJech本ではまさかの一行証明である。
<証明> そうでなければ、をなる最小の順序数として、(i),(ii),(iii)を適用せよ。
まあ、無論、Jech本では証明の前に準備はあるのだが、はかとなるがあるか、極限順序数なので(i),(ii),(iii)を適用するととなって矛盾するという論法である。任意の順序数のクラスに最小元があるというのがミソで、実際 となっていて、それはいつでも集合(かつ順序数)であるということが事前に証明されているので抜かりはない。
さて、前回に関数の再帰的定義は集合論としても正しいという一例を証明してみたが、実は今回の記事はその続きでもある。底本はJech本だが、テキストではTransfinite Recursion の証明は 1/3ページぐらいしか証明がなく、ギャップを埋めてみようという魂胆である。それに Transfinite Recursion の定式の意味の理解にかなり苦しんだのでそのノートという意図もある。
さて、記号の準備から始める。集合に値を取る上の関数クラスを考えたいので、それを
と書こう。これを列(sequence)と呼ぶ。無論これの実体は というペアのクラスだが、がもともと集合でないので、これも真のクラスである。ただ、ある順序数でちょんぎった
なるものは集合になっていて、これを -列と呼ぼう。-列が集合になるのは、は集合なので、置換公理からその像 も集合で、
から分出公理により集合となる。ただし、『集合に値を取る』というのが特定の集合内に値を取るということではなくて、集合全部を動く可能性も含むので を固定したとしても、-列の全体は真のクラスとなってしまう。ちょっと風呂敷広げすぎとは思う。さて、ここでを、がすべてのを動くときの全ての-列のクラス上で定義された、集合に値を取る任意の関数クラスとしよう(さらに風呂敷が広がったわけである)。
定理 (超限再帰法 Transfinite Recursion)
(先に述べたような)任意のに対して、上の関数クラス で、任意の順序数 に対して、
が成立するものが唯一存在する。
(は列であり、は列をでちょん切った -列を指す記号である。)
風呂敷を広げまくった割にはこじんまりとした定理であるが、これのどこがRecursionなのか最初はピンとはこなかった。しかし、ちょっと最初の方を具体的に計算してみるとその意味がわかってくる。として、という列としての表記も併用しよう。
・まず、からスタートである。がなんであれ なので、結局 である。
・のとき、もうは決まってしまっているので、。
・のとき、もうは決まってしまっていて、。
とまあ、以下がで決まってしまうのが見て取れるだろう。しかもすべての-列の上での関数クラスとしているため、引数の数でと分けて書けば、 といったようにその時点より前に計算したすべての値をパラメータに使う最も一般的な再帰的定義を表現していることがわかるだろう(しかもそのTransfinite版である)。
<証明>
任意の順序数 に対して、を定義したい。なるすべての順序数 に対して、が定義されていて、が成立しているとしよう。このとき、と定義すればよいだろう。しかし、この定義のありようはTransfinite Recursionそのものなので、これを素直に認めてしまったら証明にならない。アヤシイのは『が定義されていて』の部分である。Jech本の証明ではこれをごとにつどつど、つぎの条件を満たす-列の存在に置き換える。
この条件を満たす-列が唯一存在する(証明はのちほど)が、このとき、と定義するのである。この構成だとが論理式で閉じた形で表現できるため、は関数クラスとなる。また、に対して、-列 が、を満たすつまり、先の条件を満たす-列になっていることが証明できるので、が定理の条件を満たしていることがわかる。
(ii) のとき、とは、かなので、の時は条件は仮定から成立しており、とすればでも条件が成立するので、 。
(iii)がでない極限順序数のとき、に対して としよう。各々のに対する条件は となる。右辺の数列はごとに違ってもいいのだが、実際は定義されているところではすべて一致している(これも超限帰納法による)。そこで と書いて、を作ると は-列を定義することがわかる(Jech本では、この和を作るときのインデックスが順序数なので、和は集合になるとの注意がある)。しかも、 に対して、 なので(∵ が極限順序数だったから)、に対する超限帰納法の仮定から、が成立しているが、右辺のの中は に等しいので、条件が成立している。よって
前回の記事で気にしていたのは、再帰的に定義された関数は本当に(集合としての)関数か?という点にあったのだが、今回の超限再帰法の定理では、上の関数クラスの存在しか主張してない点で、もう一押しが必要である。とはいえ、までの話を考えればいいだろう。が、-列上にしか定義されていないとき、に等しいか大きい順序数に対する-列には、 と拡張しておけば、今回の超限再帰法の定理が使えて、それに対応する関数クラスが存在する。そこで が関数か?が問題となるが、これは置換公理からほぼ自明となっている...のでまあ、が関数クラスとして定義されうるという点が本質ということなのだろうが、なんか肩透かし感はある。
(蛇足編)
本記事を書くにあたって、何か証明のヒントは無いかとKunen本(集合論 独立性証明への案内 日本評論社)も調べてみたところ、Jech本の証明と同じ筋でした。こっちのがもう少し筋を明確に書いてますね。Kunen本の原著の初版が1983年なのでこっちのが断然前ですな。しかし、そこの続きにも超限帰納法を使えとだけ...
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[集合論]任意の無限集合は可算無限集合を含む(のか?)
タイトルの『任意の無限集合は可算無限集合を含む』は選択公理の話題には必ず出てくる有名な命題である。まずダメだとされる証明をあげよう。<証明 Ver.0>
無限集合をとする。
② から、を除いた集合は空でない。なぜならこれが空になることはが無限集合であることに反するから。そこで何か元 が存在する。
③ 同様に②の手続き"をから取り出す"を繰り返すと、加算無限集合 が得られる。□
この証明がダメだと言われるのは、選択公理が必要なことが明示的になっていないからだとされる。ちなみに②で『空でない集合から元を選んでくる』というところに選択公理が必要なのではないので要注意。この点については後でも触れる。
本当にダメなのは③である。無限に続く手続きが何かを定義しているかどうかアヤシイし、そもそも元を列挙しても、それが集合を定義しているという保証はない。ZFC公理系にそのような集合の定義はないからである。もし、この列挙する条件が論理式で閉じた形で記述できるのなら、 は分出公理から集合となる。
次によくある選択公理を明示的に用いた証明を見よう。
<証明 Ver.1>
無限集合をとする。から任意の有限集合(0個のときのも含む)を抜き去った集合をと書く。がのすべての有限集合の族を動くときの集合族を とする。が無限集合なのでどのも空ではない。そこで選択公理から選択函数 が存在して、とできる。
② と定義する。
③ これを繰り返すことで が得られる。□
うおおおおおい。③がおんなじやがな。無限操作と列挙という Ver.0と同じ欠点を持つこの証明を見て、何が違うのかと私は頭を抱えていたのである。しかし、お手元の関連書籍の証明を調べていただくと分かるがこれ以上の説明は無いことが多い。てか、この先を見たことない。
しかし、Ver.1のいいところは証明中に出てくる概念がすべて集合論の言葉で書かれており、『選択する』というVer.0の操作が、Ver.1では関数を適用するに置き換えられている点にある。そう、Ver.1 では関数 が帰納的に定義されていると言えるのである。すると問題はえらく一般的になって、集合論において関数の帰納的定義の正当性を明らかにすればよいことになる。もう、この時点では選択公理の出番は終わっている。ちなみに関数(関数クラスでもよい) が集合論的に正しく定義されていれば、その像であるが集合であることは置換公理から出る。
実は、数学的帰納法を公理に含む整数論(ペアノの公理系とか)を集合論から組み立てる際に必要となる、帰納的に定義された関数の集合論的な存在の証明を彌永昌吉『数の体系 上』(岩波新書)の付録で最近たまたま見たときにやっと腑に落ちた次第である(購入したのは高校生だったときのような気がする。当時はまったく読んでませんが)。
そこでの論法をここで真似てみよう。ただ、ちょっとだけ手抜きしたいのは、先に『のすべての有限集合の族』なるものを考えたが、これが集合になっているというのはそもそも有限集合とはなんぞやという話になるので、ここでは一旦は集合であることは認めていただきたい。集合論での自然数の定義を認めるなら、自然数のどれかと全単射があるとか、デデキントの無限の定義の否定であるところの真の部分集合に対して、全単射が存在しないとかそんな有限集合の定義のどれかを採用していると考えて欲しい。
すると は関数なので、置換公理から も集合である。
まず、は集合で、そのベキも集合で、その元は二項関係である。さらにそのベキ集合の元とは、二項関係を集めた集合族である。この二項関係の集合族のうち次のような論理式を満たすものを分出公理で選ぶとそれもまた集合である。
積集合の全体はこの条件を満たすため、は空ではない。そこで を考えるとこの共通集合は先の条件を満たす最小の二項関係ということになる。より、この共通集合は空ではない。さらにこの二項関係が関数かつ単射であることを示そう。なる元で、なるものがあったとする。そこでを考えるとこれ自身が の元となる条件を満たしていることがわかるので、の最小性に反する。同様な方法で、まで単射なら、でも単射であることが示せる。要するにこれが欲しかった単射 である。この関数にを合成してやれば、単射 が得られる。□
まあ、七面倒な手順を踏んでいるが『関数を帰納的に定義してよろしい、ただしその定義中に使う道具は集合であること』となる。なので、選択公理で関数の存在が本質的というのはまあ、今となっては首肯できるところである。
さて、ちょっと話題はもどるが、選択公理の定義で集合族の元の各々は空でないから、なるようなの存在が保証されている。この点は不思議はないのだが、それを集めて関数 を定義しようとしても、この時点でこれが集合である保証がないのである(列挙による集合の定義は認められていない)。分出公理を使おうにももし、のように書けたなら、そもそもが選出函数である。
さて、実は今までの話は全て前置きである。ここで最近知った衝撃的な事実を述べよう。ソースは田中尚夫『選択公理と数学』(遊星社)である(例によって、Amazon価格は定価の倍以上なので購入はお勧めしない。私はたまたま持ってましたが、無論ちゃんとは読めてません)。
これはつまりは、
となる。なかなか直観に反するトンデモないモデルであるが、どうやらZFと選択公理の独立性を示すモデルがそれになっているらしい。選択公理についてはとやかく言われることがあるが、選択公理が無いなら無いでこんな変なことが起こるというのが面白い。
Jech本のPart IIのforcingのあたりをざくっと調べてみたが、ぴったり同じ記述は見つからなかった(そもそも書いてあることはさっぱりわからないわけですが)。いやまあ、こんなところまでたどり着けるかどうかこれはこれで楽しみですねぇ。
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[数論]高木貞治『初等整数論講義 第二版』第五章ノート その15
最近はめっきり更新間隔がでたらめだが、これは実は次に読もうと思う数学書を物色しているうちにそっちに読み始めてしまっているという単純な理由である。二次体という具体的なものを一生懸命やった反動で反対方向に振れてしまって JechのSet Theoryという太い本に手をだしている。公理論的集合論はいままで何度かトライしてみたことがあるのだが、あまり先に進めないまま挫折してきた。途中で証明のロジックのツボがわからなくなってしまうのである(そういうときはだいたい定義や公理の意味をきちんと理解できていないときが多い)。しかし、今回は何かが臨界に達したのか、『読める、読めるぞ!』という感じである。この調子でPart I Basic Set Theory ぐらいまではいければいいな。しかし、この分野にはちょこっと計算の出番がないという欠点があってブログのネタになかなかならないんだよねぇ...さて、§52の最後の問題5である。合わせて§53で5章は終わりとなる。
[問題5] :
. なのでなるような単項イデアル を探すことになる。ただ、テキストにあるようにではなので、単項イデアルという条件はいつでも成り立っており、ノルムだけの問題となる。まず例によってにおける有理素数の分解状況を確認しよう。なので、分岐するのは のみ。より の時、完全分解。の時、惰性。そこで が原始イデアル条件は、完全分解される有理素数()あるいは、を高々一回のみ含む場合となる。ただ、テキストには であっても一般にはなので、有理整数解を得るにはともに偶数である必要があるとかいまさら指摘があるが、これはイデアルの問題Cの言い換えに過ぎないので何も新しい問題ではない。
さて、のノルムはなので、にを掛ければ符号を変えられるので、が正でも負でも なる整数 が存在する。がなる基本単数である。
なので、が判別式に対する基本単数である。よって、のどれかがという形をしているものがあればそれが解であり、なければ解は無い。
テキストでは続けて、解があるなら の中の一つだけに限るという考察を続けているが、まあ、具体的な問題だと3回やるだけなので、あまり重要性を感じないが、いつものように整理してみよう。
としたとき、のうち一つだけが偶数になるというのが同値な主張である。
ここでノルムの条件 が成立している。また、原始解の場合、先の考察からは奇数である。
ア)が奇数の場合:
が整数なので、も奇数。一方、なので、の片方だけが偶数となる。よってこの場合はOKである。
イ)が偶数の場合:
が整数なので、も偶数。一方、ア)と同様の考察により、は同時に奇数(この場合は証明完了)か偶数となる。偶数の場合、となるが、一方、
より、が奇数であることに矛盾する。□
例1) :
はなので完全分解する有理素数である。ちょこっと計算すると となるが、これは実は単項イデアルになっているのはすぐにわかる。で、この場合はもうこれで終わりで、一般解は となる。
例2) :
はなのでこれも完全分解する有理素数である。素イデアルを求める計算をきちんとやると、を総当たりで解いて . は さくっと で解けるので、. これも単項イデアル となっている。すなわち、で、 からOKでこれから一般解が作れる。念のため、で、これは解にならない。
ラストの§53は一般の二次二元不定方程式を扱っている。結局、斉次式に変形できて、いままでのイデアルによる解法が使える。ただし、元の不定方程式の整数解があれば変形後の方程式の整数解が存在するが、逆の変形が整数解を整数解に対応させないこともあるので、変形後の整数解が元の不定方程式の整数解になっているかは個別に検討する必要があるようだ。計算そのものはそう面白いものではないので、テキストの『次の例はGaussが取り扱ったものである』の部分にこだわってみた。その例とは
だが、Gaussの『 Disquisitiones Arithmeticae』のラテン語原書のpp.307-308にある。左ページの中央やや下あたりである。
一般解がさらっと記載されているが、原書の第5章で140ページぐらい一般論で費やした結果の例の一つのようだ。式の形は微妙に違って見えるが、具体的な解はテキストと一致している。変形後の不定方程式の定数項をわざわざ倍してあるのはがで割れるのにいまひとつ理由はわからない。Gaussの一般論からの都合なのかもしれないが、衒学的考察はこれぐらいにしておこう。
2節の判別式が0になるときは、まあ大体問題は簡単に解けるようになるのだが、モ変形を使うのがふーんという感じである。ちなみに天下りのの方は、のとが互いに素なので、そこから出してきている。
さて、長々と続いた『第五章ノート』も今回でいったん終了である。んー次のネタなにするかなぁ...実は『初等整数論講義 第2版』は附録が最も面白いという評判ががが...